2016年6月22日水曜日

VOL・137 スーツフィクション 2012・5

コピー商品が悪いのはわかっている。

別の観点から意見を交わそうと思った。

本物には問題はないのかということだ。

アジアを旅すれば必ずといっていいほどコピー商品が売られているのを目にする。

SAクラスのコピー商品は本当に良くできていて、素人には見分けがつかない。

箱やリボンなどの包材も完璧だ。その技術を正しい方向に向けられないものかと思う。

しかし、そのコピーが一万円で売られている。本物はというと、約十万円だ。

どう考えてもコピーのほうが生産ロットも少なく、効率的に作られているとは思えない。

だが一万円で売っても利益が出るのだ。となれば、十万円で売る本物はどれだけ

儲かっているのだろうか。

こんな話もした。ブランド品の工場で働く職人が退社した。昔の仕事仲間に原材料を

横流ししてもらい、同じ物を製作した。

これって本物? 偽者?

無論、商標管理がなされていない場所で作られたから偽物なのだが、

本物より良くできていたりする。

田原の仕事は、ブランド各社の要請でコピー商品の出どころとその流通を調べることだ。

つまりコピー商品の市場調査を報告書としてまとめる。

そこから先は公的捜査機関にバトンを委ねることになる。

身辺が気がかりだが、杞憂であることを願っている。

田原はスーツを有意義に着るひとり男として、こう語る。

自分のようなフリーランスの人間は、ジーンズとTシャツでも仕事はできる。

しかし、スーツという服は世界中のどの街でも違和感を覚えることがない。

必要なら仕事の為に街に埋もれることもできるし、ここぞという時に自分を引き立てることもできる。

選択さえ間違えなければ、一着の同じスーツでそれが可能だ。

寡黙さと冗舌さを兼ね備えたその不思議さに心惹かれる。

着こなし方を見れば、その人がわかる気がするのも興味深いことであると。


<完>

VOL・136 スーツフィクション  2012・4

「ええ、とりあえずタキシードを作っておいて下さい。帰国は2週間ほど先です。
 ジャケットも欲しいけど、帰って生地を見てからにします。

 先輩ね、一流ブランドのパーティに呼ばれるとやっぱりタキシードは必要だと感じたんですよ。 日本の男としてはイタリア男に負けたくない。僕には先輩がついているから助かります。
 その服、どこのかってよく聞かれますからね。
 ジャッポーネと答えるのがとても快感です」


いつもうまく着てくれるのは服屋にとって嬉しい限りだ。


しかも彼の着こなしには雑味がなく、やさしい色合わせがとてもうまい。


求めているのはフォルムの完成度であり、服単体に頼ることなく服装をイメージできる。

個性と自己流は異次元であり、ファッションは「たで喰う虫も好き好き」


許すからこそ、僕らのプライオリティが成り立つなんて粋がったりしたものだ。

よく二人で行くバーで、コピー商品をどう思うかと田原が尋ねてきたことがある。


その頃にはたぶん今の仕事のオファーがあったのだろう。


偽物の製造と販売は犯罪であることは誰でも知っている。


彼と話すときには、似非正義感など放っておいて本音の話になるのが楽しい。


その時の話を思い出す。


まず、人の心根。


車で、上級車種や大きい排気量のエンブレムに付け替えるバッジチューンをする人がいる。

自ら自分の車を偽物にしてしまっているわけである。

車の場合、出自は一緒だから完全な偽物ではないが、コピー商品を買う人の心根に


近いものがある。高い物は買えないけれども欲しい。そして所有している振りをしたい。


そこら辺の心境だ。買う側の心理を分析しても悲しくなるし、正義感を振りかざしても


つまらないと田原が言った。


じゃあ、別の観点から話してみようと私が切り出した。



<続く>  

VOL・135 スーツフィクション  2012・3


「イタリアでのパーティでスーツ誉められたのとタキシード作るのと何か関係でもあるのかい」


「いや、それが先輩、夜のパーティではほとんどの男性は、ちゃんとした

フォーマル着てましたから、こっちは少し肩身の狭い思いをしました。男子日本代表として負けられませんからね。
作っているのは先輩でしょ。二人三脚ですから責任重大ですよ」

「わかってるよ。そんなこと」

「それから、彼らにもう一つ言われたんだけど。

アジア人は頑張って着こなすほど、取って付けたようで、何て言ってたかな、
幼稚で若作りに見えてしまう。しかし、シニョール田原にはそれが感じられない。
僕の視点からも同じことを思っていました。
イタリア男は、スーツでもカジュアルでも子どもっぽくならずに大人の男性を表現する。少年の心を持つことと、着こなしが若作りに見えてしまうのは別のこと。スキルの差ですよね」



ナポリ仕立てのスーツやジャケットが田原の好みだ。そして良く似合う。


初めて私のところに来たときは、ナポリ製の良くできたスーツを着ていた。


自分のナポリ製のスーツの自慢ばかりをしに来る変わった男だと思っていた。


半年が過ぎた頃だったろうか。突然、私にスーツをオーダーすると言い出した。


私がナポリ仕立ての服を標榜して物作りを続けていることは彼も理解していた。


間に合わせに既製のスーツを一着買ってもらったことがある。


海外に出張した際、そのスーツが一番誉められたと口惜しそうに話し、


これからは全部ここで注文するからと頭を下げた。そうして十年が過ぎた。


時の経過と共に、彼のスーツ、ジャケット、パンツ、シャツのファイルも二冊目になっていた。



「とにかく、タキシード作っとけばいいんだね」




<続く>


VOL・134 スーツフィクション  2012・2

タキシードを作ってくれという自分の用件を言い終えると、一方的に電話を切った。

田原にしては珍しいことだが、よほど眠かったのだろう。

時差を考えるとイタリアは日付が変わる頃だった。

田原はフリーランスの探偵みたいな仕事をしている。

クライアントからの要請を受けて動くのだが、私の知る限りでは、五ヶ国語を操ることもあり、

このところ海外づいているようだった。もともと服が好きでセンスがいい男だ。

体型のバランスにも恵まれている。

渡航歴が増えるたびに着こなしのうまさに拍車がかかっていた。

二人でイギリスとイタリアを旅したことがある。彼のおかげで言葉には困らなかった。

スーツのオリジンの地を辿るような楽しい旅だった。

また行こうと話しつつも数年が経っていた。



遅めのランチに何を食べようかと考え始めた頃、携帯が鳴る。


「田原です。おはようございます。昨晩は失礼しました」


「ボンジョールノ。こっちは、もうお昼過ぎだけど。よく眠れたかい。ヴェネツィアだって、どうしたんだい突然に」


「ここんとこ、高級ブランドのコピー商品を調査していたんです。

アジアばかりだと思っていたら、ヨーロッパにもアフリカからの偽ブランド品が

大量に入ってきているんですよ。高級ブランドっていうとイタリアかフランスが本拠地でしょ。

お膝元でそんなもん売られたら、そりゃ、いい気はしませんよね。

今回は秘密裏に動く必要があって、先輩に連絡しなかったんです。」


堰を切ったように田原は話を続けた。


「きのうは昼、夜とパーティーの連発でした

ほら、先輩に勧められてミディアムグレイとチャコールグレイのスーツを色違いで作ったでしょ。

昼と夜のパーティーでそれぞれを使い分けたら、イタリアのセレブリティたちにすごく誉められたんですよ」


< 続く >

VOL・133 スーツフィクション  2012・1

携帯電話に着信メッセージのサインが灯っていた。

誰が掛けてきたのかは表示されていなかった。

「電話ください。田原です。」

やけに短く、挨拶もなし。いつもの丁寧な口調ではなかった。

些かの不安が過ぎったが、連絡をしてみる以外にそれを払拭する手立てはない。

発信者が表示不能だったことと呼出音で海外にいることは判った。

呼出音を数回聞いて、一度電話を切った。プライベートでも仕事でも渡航の話は聞いていなかった。

今までなら搭乗寸前に、突然連絡してきて現地の情報、

といっても美味しいレストランを聞いてくるだけなのだが、今回は何も言ってこなかった。

海外のどこかにいるのだが、西か東か、しばらく思いをめぐらすが

聞いてないものはいくら考えても無駄だ。時差を考えると迷惑な時刻かもしれないと

思いつつもリダイヤルした。

「もしもし、誰、プロント、プロント」

やっぱり、眠っていたのだろう。怪訝そうな声だ。

しかも国際電話だとこちらの名前がディスプレイされない。

「田原さんですか、三木ですが、プロントってイタリア?」

「あっ、先輩」

彼は私の顧客のひとりなのだが、歳が上であるという理由だけで私のことを

先輩と呼ぶ。

「いったい、どこにいるんだい」

「ベニスです。ヴェネツィア。さっき終わったばかりのパーティーで飲み過ぎて、

今はひたすら眠いんです。あすの朝、こっちから電話します。

タキシード作っといてもらえますか。

それから、タキシード着るのに必要なものを全部揃えてください。

急ぐわけじゃないんですがお願いします。

じゃ、おやすみなさい。」


< 続く >

VOL・132 人体とスーツ  2011・12

平均値で製造される既製服のスーツ。

フィッティングをして補正が行われるのだが、いわゆる寸法的補正のみが行われることが多い。

つまり上衣なら袖丈、着丈、胴回りなど。組下なら、股下、ウエスト、渡り幅など。

長さと幅の補正に過ぎない。平均値における標準体の既製スーツは、身長×0,47が

ウエストサイズといった感じである。さらに胸囲と尻囲は同じになるのが標準的体型だ。

次に既製スーツでは、パスしてしまっている体型の補正について。

標準的な体の線の考え方を示してみるが、該当する人は少ない。まず。肩傾斜。

首のつけ根の第七頸椎から肩先は7cm下がるのが基準。この数値が小さければ一般より

いかり肩、大きければなで肩ということになる。そして体を側面から見てみる。

身長計の支柱あるいは垂直な壁に背中をつけている状態をイメージして欲しい。

後頭部の次に接触するのが肩甲骨である。先の第七頸椎は壁から6cm離れるのが標準。

これを「首入り」という。衿の後ろのつき皺や衿抜けの原因になる反身体や屈伸体が

認められても、既製スーツでは前身と後身のバランスが崩れたまま着用しなければならない。

さらにウエストの位置は5cm離れる。それを「腰入り」という。同様に「尻入り」は1cm程度。

背中のこの曲線が合わせられれば、スーツのオーダーの第一関門突破。

よく出来たマネキン(派遣販売員ではなくディスプレイ用ボディ)は概ねそのように作られている。

既製服はスーツに限らず、標準的な体型で作られている。寸法の補正だけでは人体という

立体に美しく添う服にはなり得ない。正面から姿を見る場合、左右対称である身体の中心軸は

誰にでも理解できる。横から見た時の肩、胸、腹、背の姿勢の軸には着手も売り手も

関心が薄いのは何故だろうか。スーツ姿は全方向から見られていると思うのだが。

VOL・131 職人ことば  2011・11

今どきはスーツ屋と言っても店頭の小売りスタッフをイメージすることが多くなった。

高級なスーツは職人が作るオーダーメイドであり、安価な既製服を「吊るし」と称して区別していた

のは遠い昔の話だ。職人、技術者がスーツを作るときに用いる隠語というか職人用語には

キレの良さをも感じるのだが、どこかしら物騒で品が無いと言われても仕方のない響きがある。

余計なシワを取り、立体化する「クセ取り」や、アイロンワークで生地を変形させる「殺し」などが

代表である。

次に少々際どくなるが、年を重ねた殿方は聞いたことがあるかもしれない。

金ぐせ(かねぐせではない)と言う言葉があるが、あまり使われなくなったようだ。

既製のズボンだけでなく、オーダーでもあまり用いなくなった。

今のズボンの前身は左右対称に作られていて、金ぐせがつけられていないのだ。

上衣と同じく男合わせ(男前)の場合、フロントファスナー部分は左上前、つまり左側が

前(上)になる。利き腕に関わらず右手で出し入れがしやすい左側にモノを収納することが

多くなる。するとズボンの左足側は右側に比べて納めるべき体積が増す。

相対的には右側が若干ユルく感じる結果となる。そこでファスナーの下あたりを1cm程度

カットして右側を小さくする。これが金ぐせである。それをやらないと極左派?の人のズボンは、

右側の余りが後中心(ヒップ)の右にタルミとなって現れる。右のピスポケット(尻ポケット)に

ハンカチを入れる人が多い気がする。無意識な習慣なのだろうが、理にかなっていることになる。

右派、左派、中間派と色々あるが、昔の職人はそれとなく見極めていたのだろう。

フィット感の強い下着の出現も手伝って、中間派が多くなり、金ぐせも不要になってきたのである。

VOL・130 色彩と季節  2011・10

お盆も明けたとはいえ、残暑厳しい折にご来店いただいたお客様。

秋のスーツとジャケットの生地をご提案するのだが、どれをお見せしても地味だとおっしゃる。

横でご覧いただいていた奥様がとてもナイスな一言。


 「あなたの眼はまだ夏の眼なのよ。

 冬の眼に切り換えないとせっかくの生地の

 良さがわからないんじゃないの」


夏の強烈な日差しの下では、純白のシャツをはじめ、シンプルで直射日光と相性の

良いものの方が着映えする。さらに現代ファッション、とりわけ夏の潮流が、

スポーティヴルックだからであろうか、大胆な純色(原色)の配色が映える。

一昔前な低俗な色合わせの見本のように挙げられていて、TVのテストパターンみたいと

皮肉られたりしたものだ。

一方、ナチュラル系ファッションが好きな人なら、光りに晒された感のある風合いの

生成りなどを好む。とりわけレディースでは相変わらず伸びる・光る系の素材が多用

されているようであるが。

陽の光りから鋭さが消え、柔らかさを感じる頃、人の眼も冬の眼へと衣替えを始める。

色だけでなくサーフェスインタレスト、ウォームな素材感が恋しくなり、暑苦しくさえ感じていた

ダークな色が格好良く見えてくる。色合わせも、思いもよらなかった濃色同士のコーディネイトに

心惹かれる。夏にあれほど格好いいと思っていた自慢の一着が、秋風が吹き始める頃には

野暮に感じてくる。冬から春を迎えるときも同じで、高級素材のタッチすら重たく感じる。

しかし、そこには衣服を身にまとう楽しみがある。

色合わせや色彩の調和は、各誌でハウツーが繰り返される。

同じものを着るわけではないから、説明の手段にすぎない。

その生地や文章の中でのみ有効な記述概念である。自ら考え楽しみたい。

VOL・129 軽くなるコトバ  2011・9

「コラボレーション」

企業同士、雑誌とブランド、ショップの共同企画など色々な分野で利的協力をする場合、

コラボレーションという言葉を用いる。音楽の世界ではゲスト的な場合はフィーチャリングと

いうのが普通だが、それすらコラボと言ったりする。

様々な業界で二つ以上の人や団体が一緒になりさえすればコラボと称しているようだ。

別段新しくも無いことが新しいことのように聞こえてしまう。

服の世界では、これまで同様に工場に発注しているのに「ファクトリーとコラボして」など

というフレーズが出てくる。工場と物作りをするのは当然のことなのに。


「熟練の職人}

日本、いや世界には熟練の職人が大増殖しているらしい。

無論、本物の職人には大いに敬意を表する。

普通の仕事しかしていない制作者が職人扱いをされ、しまいには熟練という

おかんむりまでもつく始末。最近は数年で熟練の職人になれるようである。

工場に赴くと実のところは、パートアルバイトや季節労働の人たちだったりする。

本当にその人にしかできない技なのか、コストさえ許せば誰にでもできる単なる仕様なのか。

その辺の判断がビミョ-。


「秘伝の〇〇」

熟練と似ているが、飲食店などが用いることが多い。

秘密にして特別な人にのみ伝授された奥義のはずである。

食品のパッケージに「秘伝の〇〇」と書かれている。

いつ誰に伝授されたのか?



60年代のカルダンのスーツは今に通用しない。

既に完結していたスーツスタイルにその時代の華を添えただけ。

人生の持ち時間ではそれしかできない。メディアはヒットソングを探し続けるから

誇張した表現を好む。そして言葉の重みが消えて行く

VOL・128 誰がために服を着る  2011・08

スーツとそのコーディネイトについて考えるとき、二つの面が考えられる。

ひとつは「社交性」 「社会性」など立場に応じて表現をする、


大切なプレゼンの資料と同じくらいのポジションにある。

もうひとつは個人としての楽しみ。自分の好きなものを好きなように着て

気持ち良ければそれでいいとする向き。

これには少し皮肉も込めたいところだが、「好み」と称して雑味のある服に

手を出したくなる人がいかに多いことか。

スーツの着こなしは長い歴史に培われた様式美である。


つまり、勝手な着こなしは本人の努力ほどには良い結果を生み出さないものだ。

普通の良い服を普通に着こなすことが出来ていないのに、うまく着くずすことはできない。


素材や構造や色使いの理解が浅いままくずしても、残念な結果しか待っていない。

しかし、ルール通りに着ることは簡単すぎて誰にでも出来るからと、

くずしやハズシに向きたい気持ちも分らないではない。

大切なことは様式美への造詣とハズシを同じ目線でバランスよく出来るかどうかだ。


そうして完成度が上がれば「個性」になる。

そうでなければ、ただの変わり者から脱し得ない。派

手なネクタイを褒められる?かも知れない。

目立てば人は何かを言いたくなる。それが形式的な褒め言葉になっただけだ。

身につけた服のバランスや色合わせが良ければ、単独のアイテムを褒めたり

言い及んだりすることは無い。ネクタイがお洒落と言われるより、○○氏は

お洒落と言われたいものだ。


着手としては、スーツの二面性、自分の為と、相手の為を考えれば、うまい着こなしを後押しする。

残念なのは、助言すべき売り手側にコンサルティング能力が欠如していることだ。

力不足のフィッティングやコーディネイトを客の「好み」に依るものだと責任転換するばかりである。

VOL・127 ポケットチーフ  2011・07

上衣の胸ポケットに挿すアレのはなし。

ポケットチーフ、ポケットハンカチーフ、ポケットスクェア、ドレスハンカチーフ、ぽけち、

呼称は様々だが同じものだ。(以下チーフ)

しばしば、チーフはどのようにコーディネイトしたらいいかという質問をいただく。


いつもお答えするのは、ネクタイではなくシャツに合わせたほうが全体のルックスは

まとまりが良いということだ。

最も大事なのは、上衣、シャツ、ネクタイの調和である。

多くの人がシルク素材同士のネクタイに合わせようとしてしまうこと。

我々業界の人間やスタイリストや評論家を名乗る人たちでも、その様に考えている人が多い。

ネクタイと共地(同じ生地)でセットで売られている物はつまらないと


自ら言っているのにもかかわらず、である。

起源を語ることに意味があるとは思わないが、チーフと手を拭くハンカチは同じ物であって、


綿や麻で作られていた。 その後、薄手のシルクを用いた装飾用のドレスハンカチーフに

変わっていく。

チーフを合わせるのに大事なのは、調和であり、趣味の良さである。

ネクタイと同じか似寄りの色柄の物は合わせてます感が強すぎる。

中央のネクタイにポイントを置いているのに、同じインパクトが左胸(向かって右胸)に


繰り返すのは雑味が強くなり美しいとは思えない。合っていると頭で計算しているだけだと思う。

しかし例外もある。

ツイーディなジャケットやスーツを着る時、合わせたウールのネクタイにイメージを持っていった方


がしっくりくる。 大柄なペイズリーなどのプリントのチーフ、素材はシルクでもウールでも良く合うも

のである。

本人が気に入っていれば、何を着ても自由だが、趣味の良い調和を考えながら、


エレガントにチーフを使って欲しい。

VOL・126 スーツのプライオリティ  2011・06

過号でスーツの要素(条件)について述べたところ、もう少し詳しくとのご意見をいただいた。

服を買う時にも役立ちそうなのでもう一度。

服を構成する三つの要素は形、色柄、素材である。

そして表記の順番に自分の好みに照らし合わせるのが望ましい。すべてが良ければ

申し分ないが、既製服の場合どこかで妥協を強いられる。

一番目の形。デザインとかカッティングとかフォルムと表現される。

スーツを買うときの最も大事なポイントである。ショーウインドウのディスプレイでは格好良く

思えても試着してみると大した事なかったなんてことは良くある。

イメージどおりの形であれば言うことない。サイズも形のうちである。

概して、年配層はサイズの合っていないユルいスーツを着ていることが多い。

合っているのは組下のウエストサイズくらいで、上衣は肩幅や袖丈などまるで合っていない。

上衣が形になっていないのである。ダキ(脇の下)落ちして、後姿はお世辞にも美しいとは

いえないし、シェイプポイントも下がり過ぎている。人体で最も細い肋骨下に意識がない。

ここを合わせるだけで若々しく見える。

売る側にも買う側にも問題があるが、既製スーツの場合、効率重視で、販売確率の低いサイズは

生産しないのが普通であるから仕方ない。じゃあ、どうすりゃいいのよ。 

信頼できる店でオーダーするしかない。

二番目の色柄。

スーツの大事な要素であるが、生地を着る訳ではないから、形が合わないのに妥協しては後悔を

まねく。

三番目の素材。

色柄と同じく、高級素材であったり、気に入ったタッチであっても形や色柄がダメなら購入する意味

はない。

洪水のような数のスーツが売られていても既製服で三拍子揃うものを見つけるのは難しい。

どこかで諦めも必要だ。

VOL・125 残ね~ん  2011・05

「勝負スーツ着てきました」

今日頑張ったら、明日は手が抜けるのですか。


「同じスーツ持ってます」

えっ、当店では初めて作ったモノです。色柄がお持ちのスーツと
似てるだけで、生地も形も縫製も違ってます。
買物の際、違いが分からなければ安い方をお求めになった方が
シアワセかと存じますが。
違いが分かる男になりたいものです。


「イタリアのおやじのスーツ姿って格好いいよね」

ならば良~く見て分析して真似してください。
合わせるシャツは白かブルーの無地か穏やかな柄物しか着てません。
普通のモノを普通に着ることができれば、誰でも格好よくなれます。


「足が短いから、パンツの股下長めにしといて」

長くてダブついていると、余計に短く見えますよ。


「きょうは、ソックスがポイント」

スーツになぜ白色のスポーツソックス。
マイケルジャクソンは特別です。
ハズシとハズレは紙一重です。


「おたくのスーツ、着やすくて細く見えるから、安心して太ってしまった」

私共の所為ですか。大変ご迷惑をお掛けしました。


「若い頃はウエスト73cmやった」

そうですか。今は85cm。では73cmのパンツはいてみますか?。


「できあがったら、裾に折り返しがありますが、このままはいていいですか?」

ダブルの裾上げ、初めてご覧になるのですか。


「今度のスーツ、釦はカドにしてください」

 はいっ?! 水牛のツノ(角)、ホーンボタンですね。

VOL・124 お国柄  2011・04

今や、英国・イタリアのスーツは世界各国で販売されている。

そして、世界の風を浴びて各国のスーツの特徴が同化しつつある。

仕立ての考え方やフォルムの設計などかなりミックスブラッド化していると言っていい。 

スーツに対する考え方を敢えて各国の最大公約数でくくってみる。

各論での例外は承知の上である。

スーツの日本への導入、あるいは影響の時系列は、アメリカ、英国、イタリアの順だろうか。

まずアメリカのスーツ。

サクセススーツの名の通り成功者の着こなす物である。成功とは職業上の成功である。

成功していなくても成功者の着こなしをする。だからアメリカのスーツブランドは平準化した

フォルムが多く、合理化された大量生産に向いている。ヒップの大きさからか、あまり細身には

作らない。合わせるシャツもゆるめが多い。

次に英国のスーツ。

世界のスーツのオリジンではあるが、最大の関心事は正しく着こなしているかどうかということで

ある。クラシックな服であれば、サイズや格好いいかどうかは二の次である。人前で上衣を脱がな

いので、シャツのフォルムも気にしない。見えている襟とカフスがちゃんとしていればいい。
 
さて、イタリア。

セクシーで格好良く決めることに命を懸ける。柔い流れ落ちる素材を好む。

が、固く重い生地が逆張りで格好いいとなれば喜んで用いる。上衣を脱いでも指を襟に掛けて

肩に背負う。その時の格好良さも忘れていないから、シャツのフォルムにも気を遣う。

ネクタイを取れば、厚い胸板をさらけ出す。

おまけにニッポン。

軸になるものは何も確立されていない。○○風とかのイメージで着るコスプレ大国である。

イメージは気こなしの源泉だから大いに結構。イメージすらない大人が多すぎる。
 

VOL・123 クラシックとレトロおたくと変態  2011・02

ファッショニスタ(服好き)が陥りやすい謎のホールがある。

我々スーツ屋は、それブリティッシュだ、クラシコイタリアだ、アメリカンだと新しい提案には

目を向ける習慣を持っているが、トレンドとは別のクラシックという要素が常にスーツを

下支えしているのも事実だ。

クラシックの原義は、クラス意識とかいう時のソレで、普遍的で最も良い物というニュアンスだ。

しかし、これが古典とか昔からある良い物という意味とごっちゃになっている。

スーツに対する造詣を深めようとすると、古い映画のシーンが取り沙汰されることが多い。

ヒッチコックの映画でお馴染みのジェイムズスチュアートやローマの休日のグレゴリーペックの

太いパンツ。007のショーンコネリー時代のボンドスーツ。俳優のキャラも立っていて確かに

格好いい。しかし、よくよく考えてみると、その時代を象徴するスーツのフォルムであるだけの

ことだ。もし今、同じ配役でリメイクするなら、何らかのエッセンスは残したとしても当時のままの

スーツにはならないだろう。作り手も着手も勘違いし、当時のスーツを再現しようとしてレトロ

おたく化してしまうのだ。

蓼食う虫も好き好きの言葉通りだが、そのホールに落ちてしまうと今という環境が見えなくなる。

さらに重篤化すると映画から画像を得て、この通りに作ってくれとやって来る。細かいディテール

の話ばかりで木を見て森を見ず状態なのだが、「こだわり」というエクスキューズで変態領域へ

突入していく。私からすると単なる「コスプレ」である。

量産型のプラスティッキースーツが市場を席巻すると、古典的なスーツに有機的なインスピレー

ションを感じるのは正しい感情かもしれない。

数十年後のファッショニスタ達が、今世紀初頭(現在)のスーツは良かったとレトロ談義するのは

必定だろう。

VOL・122 エヌからの出発  2011・02

1着の上衣、スーツあるいは単品ジャケット。採寸や型紙の上での起点となるところがある。

ネックポイント(以下、NP)である。ジャケットのポケットや釦の位置を決めるとき、裾廻りなどから

測る人が多い気がする。 しかし、ジャケットなどの型紙上の寸法、サイズではなくディテールの

位置関係はすべてこの点を中心に決められている。胸ポケット、脇ポケットや釦の位置などがそう

である。服屋に行ってポケットや釦の位置をNPから測っていれば、安心して任せていいかも

しれない。
 
じゃあ、そのNPってどこよ?

上衣の衿をちょっとめくって、肩線が首廻りと交わるところだ。両サイドにあるからサイドNPで

話は通じる。 通称、「エヌ」とも言う。「テイラーの恥」と言われる突きじわ。

いかり肩や前肩、屈伸の背幅不足など要因は様々であるが、このしわもNPが着手の体のNPと

一致せず、服のNPが前方に行こうとする為に衿ミツ(背中心上部)が押されて発生する。

着づらい服は、原因は色々でも結果としてヌードと服のNPがずれていることが多い。

NPから両肩先向かう肩線。高級服の場合、肩線は前身よりも後身の方が長いものをイセ込んで

同じ長さに縫い上げる。後身が元に戻ろうとする力で肩線が前に湾曲する。この線は肩の綾線に

添った接ぎ線であるが、デザイン的に位置を変更しても着心地には影響しない。NPから肩線を後

ろにもっていくクロスショルダー(肩線バック)。これは本来肩廻りに集中する複雑な造作を避け、

後身はなるべく構造が簡単な一枚の布として作り、肩甲骨の膨らみを出しやすくしたと思われる。

現在では一つのデザインとなっているが、肩線にかかわらずNPは同じところにある。

VOL・121 スタイルバランス  2011・01

服における美しいバランスとは、どのようなものだろうか。古代ギリシャで発見され、

かのダ・ヴィンチも用いていた記録が残っているという黄金比。1:1618(または1:0618)。

名詞などのカード類がこのバランスだ。身長÷へそから足下が黄金比に近いほどスタイルが

よく、美容外科的にも目・鼻・口のサイズや間隔など黄金比を応用していると聞く。

メンズ服でいうと、スーツの上衣つまりジャケットがこの長方形にピッタリと収まる。

標準的なサイズバランスの男性の場合、肩幅が44cmだと着丈はほぼ71cm程度。

最近のコンパクトな服作りだと意匠寸を加えないので、肩幅、着丈はヌード寸にイコールだ。

と、いうことは人の胴体にも黄金比が成立している。意匠として肩幅が広くなると着丈も長く

なるのが一般的であるから、ユルイ服でも黄金比はキープされているという理屈だ。

黄金比を意識してカタチ作っているのではなく、よいバランスやプロポーションや秩序美を

目指したら黄金比に近くなったということだろう。

立体は全方位的なものである。自分の姿は鏡で正面を見るが、他の人を見るときは全方位だ。

横つまり側面から見たバランスも大切である。極端な肥満の男性は飛び出したお腹のせいで 

重心が前へ行き下衣(ズボン)とのバランスが非常に難しい。胴でもっとも細いところは脇を
 
締めて曲げた肘の位置、へそから6cm上のあたり。そこより上が胸(背)、下が腹だ。

オーダー服、既製服にかかわらず、シェイプポイントが下がりすぎてはスタイリッシュに見えない。

大きくなったお腹周りにサイズを合わせようとして身長寸の大きいスーツを着た時に訪れる

悲劇である。

VOL・120 10年後の未来  2010・12

00年の年末、出張で東京にいた。本誌編集長が私の携帯を鳴らした。

「来年、1月号から掲載したいので、原稿お願い!!」と、

何とも唐突な話ではあったが、一応了承する旨を伝えた。

ホテル備え付けの便箋に書き下ろしてFAX。

文字数等もテキトーなまま、校正するまもなく一発掲載。あれから10年が過ぎた。


スーツというものの定義を再度。ジャケット・ヴェスト・トラウザーズの3点。

あるいはヴェストなしの2点で揃いの生地で仕立てたもの。

オフィスワーカーの服装として確立されたのは30年代後半である。

形状としては19世紀末には存在するが、上下共地ではなかった。

スーツの未来を誰が想像し得たであろうか。

条件が揃えば、男性服の中で最もエレガントなものがスーツである。

条件とは時・場所・場合。季節や時刻。自社も含めた訪問先。天候や職務内容。

ただ、これらは外的条件である。もうひとつ忘れてならないのが、スーツそのものが持つ

内的条件だ。カット(パターン・裁断)、色、生地であるが、列記した順に優先する。

どんなに色柄がよく高級素材であってもカッティングの悪いスーツに妥協するのは良くない。

逆に言えば、少々意地が悪くてもカタチの良い物を買い求めるべきだ。

百年ほどの歴史を経て、生地も副資材(芯地など)もずいぶんと軽くなった。

最近でこそ、地球温暖化や空調の発達が一因とされているが、元来、服装そのものが

カジュアル化の歴史を辿っていることも否めない。軽いスーツの製造にかけては、英国よりも

イタリアのほうがリードしている。我々もそれに憧れ、標榜してきた。スーツの聖地、英国

サヴィルロウ。難攻不落と思っていたが、今やテーラーが姿を消し始め、再開発の危機に

瀕していると聞く。先達の技術と若いエネルギー、10年後の未来に期待したい。

VOL・119 DOPPIO PETTO  2010・11

ドッピオ・ペット。何のこっちゃ?
 
答えはダブルブレスト。

スーツ、ジャケット、コート等の両前のことである。アパレルメーカーは、昨今の低調を何とか

打開し、需要を探るべくダブルの上衣を提案し始めて数年が経つが、業界人を除いて未だ

浸透していない。弊店においても、数倍の注文を受けている計算になるがモトの分母が

ゼロに近かったから数は察して知るべし。

服の歴史は、人々のライフスタイルと共にカジュアル化の歴史を辿っている。

フォーマルウェア然り、スーツ然り。スーツがカジュアル化するとどうなるか。芯地を極力減らす。

綿や麻やストレッチ素材になる。ノータイや合わせるシューズがカジュアルな物になり、

コーディネートが軽くなる。 が、 手抜きとは違う。

趣味である着物を除き、勤務先の暗黙のドレスコードがあるから何でも着るわけには

いかないのが正直なトコだろう。もし許される環境にあるのなら、思い切ってシフトチェンジして

みてはいかがだろうか。スーツにおけるカジュアル化を四苦八苦しながら実践するくらいなら

ジャケットにシフトと言う手もある。

仕事着として許される範囲は広くはないと思うが、紺・茶・ベージュ・ブルー等のジャケットが

幅広いコーディネイトを約束する。なかでも最右翼と目されるのが、ダブルブレストのジャケットだ。

これもベイシックな紺から大胆なチェックまで、今年こそと提案花盛りである。

元来、重厚なイメージがあるダブルにこそちょっと抜けた合わせが効果的だ。

オンではセオリー通りのグレーのパンツを、オフではジーンズや白の綿パンを。

ネクタイがなくてもだらしなくないのがジャケットの強み。

着る物なんか、かまっていられない。色々とご意見もありましょうが、元気な人の服にパ

ワーを感じるのは気のせいか、如何。

VOL・118 黒という色  2010・10

感覚とは習慣的なものである。

それが社会現象になった例。発泡酒やアルコールフリーなどのビールテイスト飲料。

税制の話しは別にして、ビールを飲みたいという習慣の為に考案された疑似飲料である。

メーカーとしては、違う味で習慣打破を目論むより迎合した方がよいという一例だ。

それにしても日本の技術は凄い。

次に車の色。要人が乗るショーファー(運転手)付きの車はすべて黒。

やがて黒が高級に感じるようになり、今や車の色はその大小に関係なく黒が人気だという。

学生服や礼服を除けば、黒は衣服の色として日常的に用いられていなかった。

女性社員の服装なども、紺が主で濃いグレーがそれに続く感じだった。

昨今は男女、スーツなどのアイテムに限らず黒い物を身に着けていない人を捜す方が難しい。

黒は全ての光を吸収して神秘・厳粛のシンボルカラーであり、沈静・悲しみの色として喪服にも

用いられてきた。うまく使えばシックで上品にもなる色である。

ところが、この黒という色が発する感覚が大きく変わった気がしてならない。

静寂に身を包むべき色が、裏の意味、つまり攻撃的な強めの意味を持つようになった。

その無機質さが威圧感(押し出し)を増幅するのだ。前出の車体色も同様な変化だろう。

着手は、無難で簡単にお洒落っぽさを手に入れられると思っているのだろうが、黒の性格は

複雑だ。黒ならではの上手な着こなしや色合わせが出来ている人は多くはない。

時代のムードに合う色と判断しているのだろうか。安易、無難、厳粛、シック、威圧、

難しい色である。普通の生活者であるひとりの男性が、ワードローブの基本を黒にするのは、

陥りやすい間違いであり、危険なことである。私の日常には黒を用いない。 

VOL・117 シャツに異変が  2010・09

男性的(女性的?)な豪雨のあとに猛暑がやってきた。

クールビズという安易に薄着を提唱するお題目。

ビジネスシーンにおけるシャツを摩訶不思議なものに導く風俗的なちからを倍増

させてしまったようだ。

元来ドレスシャツ(Yシャツ)はスーツやジャケットなど上衣の脇役としてのポジションを

全うしてきた。ところが、「上衣を着るな」、「ネクタイをするな」と指示が下ると徐々に

デコラティブなものに変わって来た。

カラーステッチや二枚襟、、台襟のドゥエボットーニ(二個釦)やトレボットーニ(三個釦)、

柄布を見返しに用いたものなど・・パジャマを着ているのかと驚いた。カジュアルなら未だしも、

ドレスシャツの場合、内外の一流のシャツメーカーはそのような提案をしていない。

主に東アジアにおける特異なものである。しかも低価格なものが多く、品質は・・・?

美しい着こなし、ことスーツの場合、スタイルつまり様式美が確立されている。

ジャケットやアメリカンスタイルのスーツに合わせるシャツを除いて、ボタンダウンシャツは

軽いというか、衿先の釦にカジュアルなニュアンスを感じるはずである。

スタイルよりも利便性で服を選んでいるのだろうか。本格スーツに合わせるシャツは

ワイドスプレッドカラーに止めを刺す。これが長い間培われた様式美というものである。

バランスの良い着こなしができている人は、何を着るときもこの様式美が念頭にある。

自己流が一番いけない。基礎がなければ応用もできない。基礎のない人々に追い討ちを

かける様な作り手の安易な物作り、売り手の稚拙さ。

着る物なんて趣味嗜好であるから人様の勝手なのかもしれない。しかし、嗜好の方は

別にしても趣味の方には良し悪しがある。十分に年齢を重ねているのに、品性を感じさせない

シャツを何の疑問もなく着てしまう趣味はいかがなものだろうか。

VOL・116 レディメイドの限界  2010・08

レディメイド(既製)のスーツやジャケットシャツに限界を感じて久しい。

弊社が販売するスーツなどの9割近くはオーダーメイドである。

ただし、各社のオーダー服をすべて良しとは思っていない。

その理由は、購入の際、目の前にある既製服ならば、取っ替え引っ替え試着して妥協案を

見出すことは出来るし、目に見える現物であるから、気に入ったものを入手すれば良い。

翻ってオーダーの場合、採寸する人と縫製する職人のセンスと力量が服に表れる。

だから、オーダーの方が良いとも言い切れないのだ。

人の骨格や肉付きの平均値から既製服のサイズは決められる。

さらにデザイン的な寸法が加味される。各サイズはグレイディングを経て決定される。

グレイディングとは、型紙を拡大したり縮小したりする作業で既製服のサイズ展開には

欠かせない。しかし、この作業で決められた細かいサイズはあくまで平均値であり、誰に

でも合うようで、実は誰にも合っていない。太ってしまった人を例にとると、首が太くなり、

腹囲も大きくなるが、背中や袖丈はさほど変化しない。

スラックスの場合でも、ウエストが大きくなるとヒップも比例するが、渡り(太もも)はあまり

太くなることはない。腹の出たオヤジの既製スーツは、肩は落ちるわ、ズボンは太いわとなる。

お直しでこれを補正するしかない。全パーツの縮小拡大を行うオーダーと、既製服のお直しは

根本的に異なるものである。寸法合わせのお直しは、服の軸を狂わせてしまう。

よく既製服の方が格好いいと言う話を聞くが、既製服と注文服が別の人の手に依る物を比較

しているケースが多い。両方が同じ手で作られるならば、あり得ない事である。

つまり、ブランド服と旧態依然とした昭和的オーダーの服を比べてしまっている。

スキルを積んだ作り手に委ねれば、着やすく格好いい服が誕生する。

VOL・115  心根  2010・07

私は服飾雑誌が行うアンケートの結果を鵜呑みにしない。理由はこうだ。


アンケートは試験ではないからひとつの解を求めてはいない。

そこで人は自分の本心(心根)ではない表層の答えをしてしまう。

ジャケットにかける予算は?に対して、相場を考えながら、あるいはそのときに欲しい物の価格を

思い出して、手の届かない金額にチェックをしてはいないだろうか。

好きな色は?一度も着たことがなくても流行を加味して、流行りの色にマルをしていないだろうか。

昨今は洪水の如く黒い服ばかりだが、本当に黒が好きなのか、それしか売られていないから選択

肢がないというのが本音なのではないだろうか。

洋服の仕事をしていても、街であまりにもファッショナブル?な人を見ると引いてしまう。

服を着るという行為を勘違いしていると思うからだ。

「僕って、私って、ファッショナブルでしょ」という心根の声が聞こえてくる。

少々仲良くなったりすると、これはどこどこのブランドの新作で・・・なんて会話が出てきそうだ。

人の魅力というものを考えてみるといい。ファッショナブルだから魅力的なのではない。

一生懸命考えて、誰かの為に服を着る。クライアントや同輩や彼女や奥様の為に。

そういう心根が魅力的に見せるのだ。それならば、必要の度を越えたデコラティブな着こなしを

する事もないだろう。

女性をエスコートする。それほど大袈裟ではないにしても一緒に行動する時に、あなたの為に

ちゃんとした格好をしてきたと察してもらえれば、こんなに嬉しいことはない。

先方も必ず気付いてくれる。街で見かける若いカップル。女の子たちは可愛らしくしているのに、

横のお兄ちゃん、着こなし汚すぎませんか。

顔ではなく服が美女と野獣になっていると思うのだけれど。

VOL・114 買う技術・使う技術  2010・06

メンズのクロージング(重衣料)の分野もいつの間にかスタイルよりもトレンドが

語られるようになり、わかった振りをしたにわかトレンドの服が次から次へと現れてくる。

売る側は、買う側もきっとそういうものを欲しがっていると考えて疑わない。

洋服の歴史の浅さを恥じることもなく、クールビズなどという発想が飛び出してきたりする。

服を買うことは、売ることと決して同義ではないと思いながらも売り続ける毎日だ。

「お客様のために」おかしなスーツのオーダーを受注してもよいのだろうか。

本質の部分(フォルムや縫い)よりも、ポケットは斜め(スラント)で、スーツやシャツの釦ホール

ステッチは色糸を使ってなどというディテールありきの注文を、顧客のためという大義名分で

受けてしまってはロクな服はできない。どちらかというと不粋な客の不粋な注文である。

粋な客の物の買い方、「明日の商談のためにシャツとネクタイを」とか「はるか遠く海外

(たとえばパリやミラノ)へ行ったつもりでスーツを作る」というふうに、それを買ってそして

使ってどうしたいのかが見えている。ビジネスウェアの範疇を逸脱せず、少しだけ粋な感じを

取り入れている。

不粋な客も不粋な服も、売る人がいるから買う人がいるわけだ。

いつの時代も、不粋な物、事、人があるから、対極に粋な物、事、人がポジションとして成立して

いると納得するしかない。

景気のせいで勘違いされたエコロジーとエコノミー。あなたの「エコ」はどっち?

低価格にさらされる服も不粋なディテール花盛りだ。デフレはセンスも低下させるのか。

服に限らず我が国の消費も、買うだけでなく、使い込なす技術の蓄積を考えなければならない

歴史上の節目にさしかかっている。

VOL・113 クロージング・ランゲージ 2010・05

家電などの保証書や取説の整理をしていた時、1982年の手帳が紛れていた。

この数年使っているFilofaxのシステム手帳とは異なり、背にはミニ鉛筆を差すタイプの

手の平サイズのものだ。捨て忘れていただけなのだが一応中をめくってみると、記憶

にはないメモが見つかった。TV番組を見ながら走り書きをしたようだ。以下、メモ原文

に分かりやすく加筆してみた。

  
「TV・ドキュメント。USAパーソナル・ファッション・コンサルティング社長、エミリー・チョー氏。

身につける物すべてをコンサルティングする。クライアントのイメージに合わない物は高額品で

あっても寄付して身辺からなくす。不足したワードローブを買い揃える。時間やお金にゆとりが

ある人でも服のチョイスと着こなしは上手いとは言い難い。

自分のライフスタイルをどうしたいのか。今、どのあたりにいるのか。はっきりと自分で見つめる。

曖昧な状態においてはいけない。エミリーは、ボディ・ランゲージならぬクロージング(服)ランゲ

ージという言葉を用いる。現代の人間関係は難しく忙しいものだ。初対面の人たちとの決定的な

数分間にこの人は面白い(興味深い)人か、つまらない人か。価値のある人か、そうでない人か。

力のある人か、否か。瞬時に判断されてしまう。判断基準は、着ている服とその着こなしなのだと

言う。服およびその着こなしは、自分を外に向けて伝える無言の、しかし雄弁な言葉なのである。」

私も全く同じ意見を持っている。

「スーツのはなし」NO.76・86・99でも述べている。

VOL・112 伊太利の平日  2010・04

12時間のフライトの後、ミラノで乗り換えて花の都フィレンツェ到着。

それにしてもイタリアの飛行機は速い。飛行中ではなく、地上移動(taxiing)のことだ。

お国柄なのだろうか。カーブでの横Gがきつい。ボーディングブリッジが待ち遠しい。

大きな展示会をはずしてイタリアに行こうと思ったのにはいくつかの理由がある。

まず、世界的催事の時期にはホテルがとれない。宿泊費も3倍程度に高騰する。

リストランテも混み合う。

最も大きな理由は、展示会はトレンドの火種探しみたいに思えるからだ。

予想屋的な商品を洪水の如く見せられても些か食傷してしまう。

それよりオーディナリーなイタリアの人々のファッションレベルを知りたかった。

ウィンドーと街角ウォッチングが一番の目的だった。

だらだらと歩いていても、あのスーツいいなと思うと眼は釘付けになってしまう。

同行のU氏から声を掛けられても気付かないこともしばしば。

ランチの時間帯にはスーツ族が繰り出してきて、バールなどがごった返す。

スーツウォッチングの絶好のチャンスとなった。

イタリアのビジネスマンはやっぱり普通に格好いい。スーツのフォルムは古い物もある。

今日はローテの谷間という人もいるだろう。しかし、その生地はどれも高級感が漂う。

当然である。イタリアの生地はここでは国産だもの。

フィレンツェは街全体が世界遺産だから、ドゥオモに登って眺望を味わいたい。

ちょっと待てよ。ドゥオモに登っては、それを含む景色は見られない。

横のジョットの鐘楼も同じ高さだ。フィレンツェを訪問してどちらかに登るなら、こちらが宜しいかと。

通訳のN女史と合流して夕食。

ソムリエの資格を取りたてなものだから、ベストなワインをお願いしたら料理ごとに1本ずつ。

こんなに誰が飲むの。帰りは千鳥足!! 

ホテルはどっち?

VOL・111 洋服屋 おもしろ話  2010・03

 ■東京時代お世話になったO上司の入社時のエピソード。
  建設現場を転々としていたO氏。
  ある日の新宿で人事担当者に声を掛けられた。人手不足が続いていた頃だ。

   「販売の仕事をしてみないか。よかったら明日からでも」
  
   「自分でいいんですか。わかりました。明日からお世話になります。
   作業服はあるもので いいですか」

  O氏の耳にはハンバイがハンバ(飯場)に聞こえた。 本人談。

 
 ■「すみません。千鳥ビョーシのスーツありますか」
  
  「えっ?チドリビョーシ?? 拍子? 表紙? あっ千鳥格子ですね。ございますよ。」

  接客のあいだ中、千鳥ゴーシと連呼するが、最後までお客様の思い込みの強い耳には
  ビョーシとしか響かなかったらしく、帰り際、「色違いの千鳥ビョーシもあったら取り寄せて
  ください。」

 ■セールの初日、
  「昨日、これを定価で買って、気に入ったからもう1点欲しいと思ってきたんだけど」 と、

  きのうのきょうのセールに少しばかり怒り顔。
  相手をした天然の誉れ高いスタッフ、満面の笑みで、

  「ラッキーですね。今日からセールです。もう1点買うと平均価格は
   お安くなります。買わないと損します」


 ■ロゴ入りトレーナー(スウェット)が流行りの頃。
  昔は物性に問題があり縮むことも多かった。

  「これ、洗うとどうなりますか?」

  「乾きます」


 ■紺の上衣に白の綿パンを合わせて着ていた時、
  
  「おっ、きょうは紺屋の白袴やね」

  どうか今一度辞書を!
 

VOL・110 サムシングスペシャル  2010・02

作り手は何か特別なものを生み出そうとする。

買う人もその時のマインドに従い自分だけの(つもりの)一着を探す。

本物といわれる超高級なものほどベィシックだが完成度の高いものづくりをする。

その次位のクラスターのものづくりになると、流行もので一発当てよう的なマーケティングをもとに、

利潤を生む確率の高い所に集中させる。しかし流行の変わり目を予測できなかったり経済が緊縮

した時など大量の在庫となり、お洒落だった筈の物がセール品として売られる。

そして最も価格帯の安いクラスター。バレないとこには手を抜いてコストと売価を押さえ込む。

この辺のスーツになると定番っぽいといえば然りだが、なんてことない感じが溢れていて

サムシングスペシャルは感じられない。アイデンティティを消去された生活衣料だ。

話題になった千円以下のジーンズを考えてみるといい。

作り手、売り手、買い手の誰がシアワセになれるのだろうか。

少しぐらい高くても、絶対にこれが欲しいと大枚はたいて購入した経験は誰にでもある。

今となっては何であの時買ってしまったのか悔恨の念が残るだけ。そんな後悔をしない為に、

サムシングスペシャルをどのように見出すか。

まず奇抜な色柄を選ばない。渋めなくらいがちょうど良い。それより大切なのはフォルムだ。

技術が裏付けした流麗なフォルムならば紺やグレーの無地で充分だ。

シャツは白かブルー、あるいはシンプルな柄物。これ以外何もいらない。

メンズ誌の海外スナップに登場するファッショニスタ達のスーツのコーディネイトは以外に簡単だ。

デザインや色柄が変わったものを個性とは評価しないようだ。

彼らのサムシングスペシャルは、素材の良さ、身体に合わせた完璧なフォルム、

雑味のない色合わせである。

VOL・109 いい物は高い 消えたアッパーミドル  2010・01

昨今の景気後退、マネーゲーム的なところに端を発したためだろうか、

世の中で売られている物が金銭獲得の手段にしか見えない気がするのは私だけか。

買う側も投資的判断に偏重しているような気がする。高価な物だけでなくスーパーの食品購入

にさえ投資というより投機的発想が頭をよぎってはいないだろうか。必要な物を買い求め、そして

売る側は幾許かの利潤を得るのは当たり前のことだ。

しかし、何が売れるかというマーケティングが独り歩きして、いい物づくりをするという

マーチャンダイジングが萎縮している。某社が史上最高の売上を達成などとマスコミの報道も

マネーゲームの勝者を称える。高速道のサービスエリアを見渡してみても、ミニバンだらけ、

色も概して白か黒、日本の自動車趣味、物づくりはどうなってしまうのだろうか。

さて、スーツのはなし。数十万(十数万)のスーツと数万円のスーツ。

まさかたいした差はないと考えている人はいないと思うが、その違いは充分に説明され、

理解されているのだろうか。不況のため、売れなかった生地がバッタもんとなって売られると、

安価ブランド曰く、こんなにいい生地を使ってこの価格です。そりゃそうでしょう。工賃つまり

技術つまりマンパワーが不在、格好良さや着心地は絶対に同じではないのである。

再確認!いい物は高い。

当然のことだ。但し、高くても良くない物も多いから、この機会に淘汰されないものだろうか。

何事にも上昇志向で未来に夢を持ち、趣味の良さを発揮していたアッパーミドル、

中の上が消えてしまった。会社の組織の中で課長職は無くなったりはしないから、

どこかに隠れているのだろうか。

不景気は夢や趣味の良さまでも封印してしまうのか。

VOL・108 お洒落じゃない人のお洒落  2009・12

これが煮ても焼いても喰えない。

「どうしたらお洒落になれるか」という質問を頂くが、これに返答するのは非常に難しい。

洋服屋で働いているからお洒落だとは限らないし、スーツ族と今どきのストリートカジュアルや、

ギャル男君たちの着こなしにおいて、格好良さを共有することも希である。


単刀直入にお洒落じゃない人の欠点を羅列してみる。 
 
・服に興味がない人を探す方が難しいが「着飾る」ことをお洒落だと勘違いしている。
 お洒落な人は「着こなす」習慣ができている。釦やステッチの色にギミックを用いた
 上衣やシャツが出回りすぎ。造り手にも売り手にも問題あり。「変わったシャツですね」
 と言われたら要注意。「変なの!」を婉曲に言ってるだけ。
 
・自分の体型を理解していない。つまりサイズ感覚に欠けている。服が大きすぎては
 より太って見えてしまうし、いくら細身が流行っても小さすぎては貧相で豊かさに欠ける。
 既製服といえども、仕上げるときの袖丈、股下、着丈に無頓着。サイズ感覚は流行と
 いうより時代のバランス感覚である。

・トータルの着こなし、コーディネイトが出来ていない。豪華一点を買い求めて着ていれば
 お洒落だと思っている。一緒にパンツを買いなさい。シャツもベルトも靴もお求めいただいた
 方が良かった。ちょっとハズシのコーディネイトのつもり? 残念ながらハズレです。 
 何にでも合う服、何に合わせても中途半端かも。

・オーダースーツだから格好いい?オーダーもピンキリです。どこの寸法に合わせて
 作ったのか理解に苦しむ。注文を受け採寸する担当者がダサかったら、そりゃ無理な
 相談というもの。


人それぞれ趣味嗜好はある。知らなかった物、もっと良い物を見て変わろうとする事こそ

本当の趣味の良さではないか。

VOL・107 いつも同じ服  2009・11

いつも同じ服に見えると人は言う。

しかし、スーツやジャケットの数は人並み以上で、一週間毎日違うものを着てもまだ余りある。

ホントに同じ服を毎日着ている人はここでは論外。

「あの人はいつも同じ服ばかり着ている」と言う時、実際のところどうなんだろうか。

言われる側の対象になっている人物は、普通の人に比べてきっとセンスがあり、

いい服を着ているに違いない。

毎日全て違う物を着ているのだが、本人が持つイメージ(特に色と柄)がテーマとして

フィックスされていて、他の人からは同じに見えているのだろう。

私も同じような服ばかり作っている。自分のことはさておき、いつも同じように見えているのは

決して悪いことだとは思わない。むしろ潔ささえ感じてしまう。

私の顧客にかなりの着数のジャケットとパンツを作って頂いている方がいる。

ジャケットだけで30着くらいはあろうか。これが、ことごとく茶系。ベージュもあればこげ茶もある。

合わせて作るパンツもほとんど茶系で、グレーや紺が少し。確かに似た様な色である。

さらに、シーズンが変わっても素材が変化しているだけで、色使いの印象は変わらない。

傍目には同じに見えているだろうが、私は微妙な色の差を楽しんでもらえていると思っている。

淡いベージュ系のジャケットに、たまにはライトグレーのパンツを合わせると爽やかな

淡色コーディネイトになると提案しているのだが、当の本人がピンときていないみたいだ。

色々な服を買い漁る人ほどまとまりがつかない。

色も柄も、ひいてはサイズ(表示ではなく実際の大きさ)までバラバラだ。

安定したサイズ感覚を持っていて、それに好みの色柄が乗っていくと同じような服に

見えるのは否めない。

自分の得意なパターンが確立されているのは素晴らしいことだと思いますが、如何?

2016年6月20日月曜日

VOL・106 ドレスダウン?カジュアルアップ?  2009・10

服の着こなし、アイテムの合わせ方や色の使い方を語るとき、

傾向(トレンド)はイメージとしてのあり様なので具体性に乏しい。

仮にジャケットにカラーパンツやジーンズを合わせて・・・

と述べたところで、ウチの会社はスーツしか駄目だし、もしジャケットOKでもジーンズなんて

もってのほかとなるのが落ち。ファッション雑誌がよく特集するイタリアの男たち、

殆どがアパレルの展示会でのスナップ写真である。

一般のビジネスマンたちの着こなしは、日本同様にもっとコンサバティヴだ。

ただし、洗練されたエレガンテ度合いは足元にも及ばない。

この夏を検証した上で秋へ向けてのご提案。

着る物をまっ二つに分けるのはいささか乱暴な気もするが、その方が理解に遠くない。

ドレスとカジュアルその二つが上品に融合しようとしている。

軽く作られたジャケットにカラーパンツの合わせがそれである。

カジュアルは上品方向へなびいているし、ドレスは軽快さを求めている。

上衣は芯地やパット等が少なめの構造になりシルエットもコンパクトな設計が可能になった。

同じ着心地ながら細身に仕立てることができる。

サイズ感覚がとても大切になっている。昔のゆったりしたジャケットを引っ張り出してジーンズに

合わせても成功は望めない。

色使いの傾向。パープルと新顔のグリーン。この二色は指し色として効果的。

分量的には上衣やボトムに用いる色こそ大きな面積を占める。定番色のネイビーや

ダークブラウンに加えてベージュやライトグレーの中間色を基調にするのが見逃せない。

淡いベージュのジャケットに白やライトグレーのボトム。さらにイエローやグリーンなどの中間色の

ボトムもいい。安易な全身黒ずくめでは、ポイントは稼げないので悪しからず。

VOL・105 残暑のスーツ素材  2009・9

9月までクールビズを採用する企業が多い中、アンチクールビズ派の営業マンの方々も多い。

よくよく考えてみれば、半袖ノーネクタイOKもクールビズだが、スーツを涼しげに着る事も

立派なクールビズと言えるのではないだろうか。

そこで残暑向きのスーツ素材。

ウール素材の生地の場合、湿気を帯びたまま膝や肘を曲げていると形状を記憶しようと

するのでシワになりやすい。通気性が良く、汗をかいても乾きやすい素材がスーツの

クールビズにふさわしい。

強撚糸を用いた平織りのポーラなどがそれである。

糸に強く撚りをかけて織られるのでコシがあり、ギュッと握って離すとバネの様に元に

戻ろうとする。風抜けが良く、いち早く秋風を感じるかも。ポーラは英国生地に多くエリソン社の

商標である。その他にフレスコは老舗マーティンソンズ社、エアウールはエドウィン・ウッドハウス社

の商標である。ポーラを中心としたスーツ素材にはモヘアをブレンドして、さらに張り感を持たせた

もの、リネン麻をブレンドしたものなどがある。

定番素材といえば、細番の糸で平織りしたトロピカルと呼ばれる生地。

夏のスーツ地のほとんどがこのトロピカルである。20年程前にはクールウールとしてキャンペーン

されていた。当時はウールというとウォーム感を連想するのでサマーウールとかクールウールと銘

打ったのか。

見た目が涼しげな綿と麻。少し、くたった綿スーツは味があるものである。

傍目には涼しげでも意外に湿気がこもり涼感に欠ける。男のやせ我慢のひとつとして

綿スーツの人に拍手!!

麻のデメリットはシワである。ヨーロッパではシワもファッションの一部として人気だが、

日本人の感性には難しいかもしれない。

ウールにブレンドした混紡素材の方がおススメである。

VOL・104 スーツのはなし ノベライズ<後編> 2009・08

予約していたイタリアンレストランに着く頃には、二人を夕闇が包んでいた。

それは街の中心から少しはずれたところにあった。

飲食店が立ち並ぶ喧騒が途切れて住宅街に変わるあたりだ。

どちらかというとイタリアの北の方の正調なリストランテをイメージしたことがはっきりと窺える。

実に品の良い料理を出してくれる。店の設えは簡素でもなく豪華すぎもせず、

居心地がとてもよかった。

 
 「オーナー、お久しぶり。ちょっと遅くなりました。」


 「二人とも相変わらずお洒落だね。大人のカジュアルって感じだけど。

  今日の服、打ち合わせでもしたのかな。」


 「いや、偶然ですよ。」


の自分の返事を掻き消すように、


 「ええ、ありがとうございます。」


と、彼女の声が明るく響いた。

 
知人に紹介されてこの店に通い始めて4年になるだろうか。

ほとんどは厨房仕事が多いオーナーシェフだが、ホールに出るときはいいスーツを着ている。

尋ねてみると、自分と同じショップの常連だったことから意気投合した。

今日はホールに立つ日のようだ。良くできた黒いスーツだった。

黒にありがちな他に対して攻撃的な感じは微塵もなかった。

 
 「今もあそこでスーツ作ってんの。」


 「当然でしょ。今はスーツだけでなく全部ですよ。先週行った時、

  オーナーの新しいジャケット見せてもらいましたよ。」


 
イタリアで修行した経験を持つオーナーと交わす会話はとても楽しかった。

点としてしかイメージできなかったイタリアの各都市が話を重ねるうちに二次元的に

つながっていく。


 「この暑い夏が終われば、秋のイタリアは食材の宝庫。

  フンギポルチーニが手に入るからリゾットでも作るかな。」


 「本当ですか。それは楽しみですね。必ず連絡くださいよ。」


                                        <完>