2016年6月22日水曜日

VOL・137 スーツフィクション 2012・5

コピー商品が悪いのはわかっている。

別の観点から意見を交わそうと思った。

本物には問題はないのかということだ。

アジアを旅すれば必ずといっていいほどコピー商品が売られているのを目にする。

SAクラスのコピー商品は本当に良くできていて、素人には見分けがつかない。

箱やリボンなどの包材も完璧だ。その技術を正しい方向に向けられないものかと思う。

しかし、そのコピーが一万円で売られている。本物はというと、約十万円だ。

どう考えてもコピーのほうが生産ロットも少なく、効率的に作られているとは思えない。

だが一万円で売っても利益が出るのだ。となれば、十万円で売る本物はどれだけ

儲かっているのだろうか。

こんな話もした。ブランド品の工場で働く職人が退社した。昔の仕事仲間に原材料を

横流ししてもらい、同じ物を製作した。

これって本物? 偽者?

無論、商標管理がなされていない場所で作られたから偽物なのだが、

本物より良くできていたりする。

田原の仕事は、ブランド各社の要請でコピー商品の出どころとその流通を調べることだ。

つまりコピー商品の市場調査を報告書としてまとめる。

そこから先は公的捜査機関にバトンを委ねることになる。

身辺が気がかりだが、杞憂であることを願っている。

田原はスーツを有意義に着るひとり男として、こう語る。

自分のようなフリーランスの人間は、ジーンズとTシャツでも仕事はできる。

しかし、スーツという服は世界中のどの街でも違和感を覚えることがない。

必要なら仕事の為に街に埋もれることもできるし、ここぞという時に自分を引き立てることもできる。

選択さえ間違えなければ、一着の同じスーツでそれが可能だ。

寡黙さと冗舌さを兼ね備えたその不思議さに心惹かれる。

着こなし方を見れば、その人がわかる気がするのも興味深いことであると。


<完>

VOL・136 スーツフィクション  2012・4

「ええ、とりあえずタキシードを作っておいて下さい。帰国は2週間ほど先です。
 ジャケットも欲しいけど、帰って生地を見てからにします。

 先輩ね、一流ブランドのパーティに呼ばれるとやっぱりタキシードは必要だと感じたんですよ。 日本の男としてはイタリア男に負けたくない。僕には先輩がついているから助かります。
 その服、どこのかってよく聞かれますからね。
 ジャッポーネと答えるのがとても快感です」


いつもうまく着てくれるのは服屋にとって嬉しい限りだ。


しかも彼の着こなしには雑味がなく、やさしい色合わせがとてもうまい。


求めているのはフォルムの完成度であり、服単体に頼ることなく服装をイメージできる。

個性と自己流は異次元であり、ファッションは「たで喰う虫も好き好き」


許すからこそ、僕らのプライオリティが成り立つなんて粋がったりしたものだ。

よく二人で行くバーで、コピー商品をどう思うかと田原が尋ねてきたことがある。


その頃にはたぶん今の仕事のオファーがあったのだろう。


偽物の製造と販売は犯罪であることは誰でも知っている。


彼と話すときには、似非正義感など放っておいて本音の話になるのが楽しい。


その時の話を思い出す。


まず、人の心根。


車で、上級車種や大きい排気量のエンブレムに付け替えるバッジチューンをする人がいる。

自ら自分の車を偽物にしてしまっているわけである。

車の場合、出自は一緒だから完全な偽物ではないが、コピー商品を買う人の心根に


近いものがある。高い物は買えないけれども欲しい。そして所有している振りをしたい。


そこら辺の心境だ。買う側の心理を分析しても悲しくなるし、正義感を振りかざしても


つまらないと田原が言った。


じゃあ、別の観点から話してみようと私が切り出した。



<続く>  

VOL・135 スーツフィクション  2012・3


「イタリアでのパーティでスーツ誉められたのとタキシード作るのと何か関係でもあるのかい」


「いや、それが先輩、夜のパーティではほとんどの男性は、ちゃんとした

フォーマル着てましたから、こっちは少し肩身の狭い思いをしました。男子日本代表として負けられませんからね。
作っているのは先輩でしょ。二人三脚ですから責任重大ですよ」

「わかってるよ。そんなこと」

「それから、彼らにもう一つ言われたんだけど。

アジア人は頑張って着こなすほど、取って付けたようで、何て言ってたかな、
幼稚で若作りに見えてしまう。しかし、シニョール田原にはそれが感じられない。
僕の視点からも同じことを思っていました。
イタリア男は、スーツでもカジュアルでも子どもっぽくならずに大人の男性を表現する。少年の心を持つことと、着こなしが若作りに見えてしまうのは別のこと。スキルの差ですよね」



ナポリ仕立てのスーツやジャケットが田原の好みだ。そして良く似合う。


初めて私のところに来たときは、ナポリ製の良くできたスーツを着ていた。


自分のナポリ製のスーツの自慢ばかりをしに来る変わった男だと思っていた。


半年が過ぎた頃だったろうか。突然、私にスーツをオーダーすると言い出した。


私がナポリ仕立ての服を標榜して物作りを続けていることは彼も理解していた。


間に合わせに既製のスーツを一着買ってもらったことがある。


海外に出張した際、そのスーツが一番誉められたと口惜しそうに話し、


これからは全部ここで注文するからと頭を下げた。そうして十年が過ぎた。


時の経過と共に、彼のスーツ、ジャケット、パンツ、シャツのファイルも二冊目になっていた。



「とにかく、タキシード作っとけばいいんだね」




<続く>


VOL・134 スーツフィクション  2012・2

タキシードを作ってくれという自分の用件を言い終えると、一方的に電話を切った。

田原にしては珍しいことだが、よほど眠かったのだろう。

時差を考えるとイタリアは日付が変わる頃だった。

田原はフリーランスの探偵みたいな仕事をしている。

クライアントからの要請を受けて動くのだが、私の知る限りでは、五ヶ国語を操ることもあり、

このところ海外づいているようだった。もともと服が好きでセンスがいい男だ。

体型のバランスにも恵まれている。

渡航歴が増えるたびに着こなしのうまさに拍車がかかっていた。

二人でイギリスとイタリアを旅したことがある。彼のおかげで言葉には困らなかった。

スーツのオリジンの地を辿るような楽しい旅だった。

また行こうと話しつつも数年が経っていた。



遅めのランチに何を食べようかと考え始めた頃、携帯が鳴る。


「田原です。おはようございます。昨晩は失礼しました」


「ボンジョールノ。こっちは、もうお昼過ぎだけど。よく眠れたかい。ヴェネツィアだって、どうしたんだい突然に」


「ここんとこ、高級ブランドのコピー商品を調査していたんです。

アジアばかりだと思っていたら、ヨーロッパにもアフリカからの偽ブランド品が

大量に入ってきているんですよ。高級ブランドっていうとイタリアかフランスが本拠地でしょ。

お膝元でそんなもん売られたら、そりゃ、いい気はしませんよね。

今回は秘密裏に動く必要があって、先輩に連絡しなかったんです。」


堰を切ったように田原は話を続けた。


「きのうは昼、夜とパーティーの連発でした

ほら、先輩に勧められてミディアムグレイとチャコールグレイのスーツを色違いで作ったでしょ。

昼と夜のパーティーでそれぞれを使い分けたら、イタリアのセレブリティたちにすごく誉められたんですよ」


< 続く >

VOL・133 スーツフィクション  2012・1

携帯電話に着信メッセージのサインが灯っていた。

誰が掛けてきたのかは表示されていなかった。

「電話ください。田原です。」

やけに短く、挨拶もなし。いつもの丁寧な口調ではなかった。

些かの不安が過ぎったが、連絡をしてみる以外にそれを払拭する手立てはない。

発信者が表示不能だったことと呼出音で海外にいることは判った。

呼出音を数回聞いて、一度電話を切った。プライベートでも仕事でも渡航の話は聞いていなかった。

今までなら搭乗寸前に、突然連絡してきて現地の情報、

といっても美味しいレストランを聞いてくるだけなのだが、今回は何も言ってこなかった。

海外のどこかにいるのだが、西か東か、しばらく思いをめぐらすが

聞いてないものはいくら考えても無駄だ。時差を考えると迷惑な時刻かもしれないと

思いつつもリダイヤルした。

「もしもし、誰、プロント、プロント」

やっぱり、眠っていたのだろう。怪訝そうな声だ。

しかも国際電話だとこちらの名前がディスプレイされない。

「田原さんですか、三木ですが、プロントってイタリア?」

「あっ、先輩」

彼は私の顧客のひとりなのだが、歳が上であるという理由だけで私のことを

先輩と呼ぶ。

「いったい、どこにいるんだい」

「ベニスです。ヴェネツィア。さっき終わったばかりのパーティーで飲み過ぎて、

今はひたすら眠いんです。あすの朝、こっちから電話します。

タキシード作っといてもらえますか。

それから、タキシード着るのに必要なものを全部揃えてください。

急ぐわけじゃないんですがお願いします。

じゃ、おやすみなさい。」


< 続く >

VOL・132 人体とスーツ  2011・12

平均値で製造される既製服のスーツ。

フィッティングをして補正が行われるのだが、いわゆる寸法的補正のみが行われることが多い。

つまり上衣なら袖丈、着丈、胴回りなど。組下なら、股下、ウエスト、渡り幅など。

長さと幅の補正に過ぎない。平均値における標準体の既製スーツは、身長×0,47が

ウエストサイズといった感じである。さらに胸囲と尻囲は同じになるのが標準的体型だ。

次に既製スーツでは、パスしてしまっている体型の補正について。

標準的な体の線の考え方を示してみるが、該当する人は少ない。まず。肩傾斜。

首のつけ根の第七頸椎から肩先は7cm下がるのが基準。この数値が小さければ一般より

いかり肩、大きければなで肩ということになる。そして体を側面から見てみる。

身長計の支柱あるいは垂直な壁に背中をつけている状態をイメージして欲しい。

後頭部の次に接触するのが肩甲骨である。先の第七頸椎は壁から6cm離れるのが標準。

これを「首入り」という。衿の後ろのつき皺や衿抜けの原因になる反身体や屈伸体が

認められても、既製スーツでは前身と後身のバランスが崩れたまま着用しなければならない。

さらにウエストの位置は5cm離れる。それを「腰入り」という。同様に「尻入り」は1cm程度。

背中のこの曲線が合わせられれば、スーツのオーダーの第一関門突破。

よく出来たマネキン(派遣販売員ではなくディスプレイ用ボディ)は概ねそのように作られている。

既製服はスーツに限らず、標準的な体型で作られている。寸法の補正だけでは人体という

立体に美しく添う服にはなり得ない。正面から姿を見る場合、左右対称である身体の中心軸は

誰にでも理解できる。横から見た時の肩、胸、腹、背の姿勢の軸には着手も売り手も

関心が薄いのは何故だろうか。スーツ姿は全方向から見られていると思うのだが。

VOL・131 職人ことば  2011・11

今どきはスーツ屋と言っても店頭の小売りスタッフをイメージすることが多くなった。

高級なスーツは職人が作るオーダーメイドであり、安価な既製服を「吊るし」と称して区別していた

のは遠い昔の話だ。職人、技術者がスーツを作るときに用いる隠語というか職人用語には

キレの良さをも感じるのだが、どこかしら物騒で品が無いと言われても仕方のない響きがある。

余計なシワを取り、立体化する「クセ取り」や、アイロンワークで生地を変形させる「殺し」などが

代表である。

次に少々際どくなるが、年を重ねた殿方は聞いたことがあるかもしれない。

金ぐせ(かねぐせではない)と言う言葉があるが、あまり使われなくなったようだ。

既製のズボンだけでなく、オーダーでもあまり用いなくなった。

今のズボンの前身は左右対称に作られていて、金ぐせがつけられていないのだ。

上衣と同じく男合わせ(男前)の場合、フロントファスナー部分は左上前、つまり左側が

前(上)になる。利き腕に関わらず右手で出し入れがしやすい左側にモノを収納することが

多くなる。するとズボンの左足側は右側に比べて納めるべき体積が増す。

相対的には右側が若干ユルく感じる結果となる。そこでファスナーの下あたりを1cm程度

カットして右側を小さくする。これが金ぐせである。それをやらないと極左派?の人のズボンは、

右側の余りが後中心(ヒップ)の右にタルミとなって現れる。右のピスポケット(尻ポケット)に

ハンカチを入れる人が多い気がする。無意識な習慣なのだろうが、理にかなっていることになる。

右派、左派、中間派と色々あるが、昔の職人はそれとなく見極めていたのだろう。

フィット感の強い下着の出現も手伝って、中間派が多くなり、金ぐせも不要になってきたのである。