左手首に目を下ろす。
19時15分を指していた。まだほんの少しだけ明るさが残っていた。
黄昏時どきに外にいるのは久しぶりだ。待ち合わせの場所に彼女の姿は見えなかった。
人を待たせるのは苦手だと話したことがあったから、気を遣って建物の影にでも隠れている
のだろうと考え始めた矢先に、後ろから肩を叩かれた。
「私も遅くなるってメールしようとしたら全く同じ文面のメールがあなたから届いたの」
男にしては小柄な自分と同じくらいの背丈でも、パンプスの踵の分だけ彼女の方が長身に見える。
手足がすらりと伸びた日本人離れしたスタイルだが、顔はどちらかと言えば和風の美人だ。
初めの頃は一緒に歩くのにもコンプレックスを感じていた。いつも凛としていて、天は二物を与えず
というが、才色兼備という例外もあるものだと思った。身に纏う服も記号(ブランド)にこだわらず、
服を征服し渾然一体となって自己を表現していた。
「めずらしく、砕けた格好ね」
「うん、広告関係のパーティーに呼ばれていたんだ。君の方こそ、ジーンズなんて、
しかもホワイト」
彼女のオフィスではジーンズは禁止されているのを知っていた。
着替えてきたのだと解ったが自分もそうだと悟られたくなかったので、その話題は途切れた。
言葉が出ない理由がもうひとつあった。彼女のジャケットが自分のそれと良く似たベージュだった。
昔の会話を思い出す。
「黒ずくめの着こなしは色音痴になるぞ」
「だって、レディースの服って黒しか売ってないんだもの」
インナーにモカブラウンのキャミソール。襟元にはサックスのオーガンジーのストール。
淡い色を上手に合わせていた。自分のボトムに白のコットンパンツを選ばなかったのは
正解だった。 <続く>
2016年6月20日月曜日
VOL・102 スーツのはなし ノベライズ(前編) 2009・06
きょうは絶対に残業はしないと決めていた。
急いでデスク廻りを片付けてオフィスをあとにする。夕陽が美しかった。
待ち合わせの日には雨が降らないジンクスもいつも通りだった。
約束の時刻までまだ30分ある。会社は数年前からクールビズを認めていたが、
つまらない事を決めるものだと思っていた。紺地にくっきりと立ったピンストライプのスーツに、
白無地のスプレッドシャツ。靴は黒のストレートチップ。どれも趣味の良さを感じさせていた。
その日の仕事に合わせて着こなす上手さは社内でも定評があった。
朝、部屋を出るときは完璧と思っていた筈だが、何となく落ち着かない。原因は解っていた。
ネクタイだ。1ヶ月前に彼女にプレゼントされた物だ。ネクタイとスカーフは違うといつも話していた
から気を遣ったのだろう。比較的ベイシックな物を選んでくれてはいた。
だが生地のタッチや微妙な色は、やっぱり女性の目で選んだ物だった。久しぶりに会うのに他の
ネクタイを選ぶわけにはいかなかった。
早歩きの約束の場所とは逆の自分の部屋へ向かっていた。ネクタイの話は避けたかったし、
昼間着ていたスーツなど彼女には知る由もない。4階までエレベーターは使わず階段を駆け上る。
1度戻って着替えるとなると、もうスーツの気分じゃなかった。ウールと麻が半々の生地の少し黄味
がかったベージュのジャケット。合わせるパンツは白とライトグレーを迷ったが、純白の麻のシャツ
にすでに袖を通していたから、くだけ過ぎはイヤな気がしてライトグレーの方に。
靴はタバコスエードのスリッポンだ。裸足は作為的な気がして靴下は履くことにした。
これならネクタイはなくていい。部屋のドアをロックし、約15分遅れることになるとメールした。
外は少し暗くなり始めていた。
急いでデスク廻りを片付けてオフィスをあとにする。夕陽が美しかった。
待ち合わせの日には雨が降らないジンクスもいつも通りだった。
約束の時刻までまだ30分ある。会社は数年前からクールビズを認めていたが、
つまらない事を決めるものだと思っていた。紺地にくっきりと立ったピンストライプのスーツに、
白無地のスプレッドシャツ。靴は黒のストレートチップ。どれも趣味の良さを感じさせていた。
その日の仕事に合わせて着こなす上手さは社内でも定評があった。
朝、部屋を出るときは完璧と思っていた筈だが、何となく落ち着かない。原因は解っていた。
ネクタイだ。1ヶ月前に彼女にプレゼントされた物だ。ネクタイとスカーフは違うといつも話していた
から気を遣ったのだろう。比較的ベイシックな物を選んでくれてはいた。
だが生地のタッチや微妙な色は、やっぱり女性の目で選んだ物だった。久しぶりに会うのに他の
ネクタイを選ぶわけにはいかなかった。
早歩きの約束の場所とは逆の自分の部屋へ向かっていた。ネクタイの話は避けたかったし、
昼間着ていたスーツなど彼女には知る由もない。4階までエレベーターは使わず階段を駆け上る。
1度戻って着替えるとなると、もうスーツの気分じゃなかった。ウールと麻が半々の生地の少し黄味
がかったベージュのジャケット。合わせるパンツは白とライトグレーを迷ったが、純白の麻のシャツ
にすでに袖を通していたから、くだけ過ぎはイヤな気がしてライトグレーの方に。
靴はタバコスエードのスリッポンだ。裸足は作為的な気がして靴下は履くことにした。
これならネクタイはなくていい。部屋のドアをロックし、約15分遅れることになるとメールした。
外は少し暗くなり始めていた。
VOL・101 上等か否かⅡ 2009・5
上等な服には、上等な着こなしというものがあって、由緒正しく目立たないのが望ましい。
周囲はやたら似非(えせ)個性を追いかけているから、結果と して品良く地味目立ちする。
さらに男子たるものの着こなしは、少し野暮にしてみる。
スキのない着こなしほど下等に映ってしまう。高価な貴金属のタイタックなどいただけない。
ヨーロッパを旅して、ネクタイを何かで留めている男に出会ったことがない。
揺れるネクタイで少しだけスキを見せる。服や車を威 嚇の道具としている人たちを想像するといい。
まるで映画の詐欺師かギャングのようだ。
婦人服の場合も同様で、あまりにもセクシーすぎる着こなしは、いら高価でも知性を感じ得ない。
上等・正調の対極にある場違いを見掛ける事は多い。どんなによく出来た服でも、流行りすぎると
下劣に見えてくる。流行りすぎ た服などユニフォーム的効果しか生み出さない。
最も目立たなければいけない 筈の着手の顔が透明になってしまう。
個性などというものが数百万の出費で買 えるのなら安いものだがそうはいかない。
ロンドンでのエピソード。由緒正しきジェントルマンの店は、傘とステッキ、帽子、葉巻、テーラーなど
数々ある。ここはひとつと思い切って足を踏み入れた。「カナイヘルプユー・サー」店のスタッフに声を
掛けられる。慇懃というのはこういうのを言うのだろう。それ以上もそれ以下もないという態度である。
小説や映画に出てくる老練な執事の如くといった感じだ。慇懃の下に無礼がつように思われるのは、
こちらの気持ちが卑屈なせいか。きわめて上等な接客に電気が走る。
というか下等な田舎モンが緊張して気を失うも当然。
500£ もするこうもり傘を買ってしまった。どこかに置き忘れて、今はもう無い。
VOL・100 上等か否かⅠ 2009・03
戦争直後のスーツを思い出してみると・・・、
などというフレーズは私にさえも書けない昔の話になってしまったので、
もう少し時代を引きつけて90年代の初め、ソフトスーツとやらがもてはやされた頃のこと。
ズボンは太ければ太いほど最新流行のように感じられたものだ。
当時としては美学であったのだろう。しかし、20年もしないうちにそれはとんでもなく
間違えたことのように思えてしまう。
スーツというものが完成をみて約100年超。大きくは変化していない。
ズボンの太さ、つまり渡りや裾の幅は意匠寸(デザイン寸法)である。
こういったデザインを除けばスーツは大きな変化をしていないのだ。
だから戦後の著名人のスーツ姿を見てズボンが太いからダメだと言うことはない。
逆に、いいスーツだと褒めたりする。
スーツに限らず、我々の身の廻りの物には、上等な物とそれ以外の物とが存在する。
高価であれば上等かというとそうでもない。誰もが上等と認める物なら、誰が着ても上等に
見えるかも疑問だ。私見としては、上等な物は雑味がない。常にシンプルである。
「個性的なお洒落」という言い回しがあるが、こと男の服に関する限り上等な表現ではない。
男の上等なお洒落は、本筋、正調でなくてはならないのだ。
瞬間最大風速的に、ギミックやデザインの虜になっても、時が風化させ、過去の汚物・雑味に
変わってしまう。つまりそういった奇をてらったところがない服こそ上等な服である。
志が高いとでも言うのだろうか。素材とフォルムの完成度で勝負を挑んでくるこそ美しい。
正調の逆は何かといえば、「場違い」である。いくら「はずし」のお洒落と言ってみたところで、
場違いの領域に突入してしまうと高価な物でもミミッチく感じてしまう。
《次号へ続く・・・》
などというフレーズは私にさえも書けない昔の話になってしまったので、
もう少し時代を引きつけて90年代の初め、ソフトスーツとやらがもてはやされた頃のこと。
ズボンは太ければ太いほど最新流行のように感じられたものだ。
当時としては美学であったのだろう。しかし、20年もしないうちにそれはとんでもなく
間違えたことのように思えてしまう。
スーツというものが完成をみて約100年超。大きくは変化していない。
ズボンの太さ、つまり渡りや裾の幅は意匠寸(デザイン寸法)である。
こういったデザインを除けばスーツは大きな変化をしていないのだ。
だから戦後の著名人のスーツ姿を見てズボンが太いからダメだと言うことはない。
逆に、いいスーツだと褒めたりする。
スーツに限らず、我々の身の廻りの物には、上等な物とそれ以外の物とが存在する。
高価であれば上等かというとそうでもない。誰もが上等と認める物なら、誰が着ても上等に
見えるかも疑問だ。私見としては、上等な物は雑味がない。常にシンプルである。
「個性的なお洒落」という言い回しがあるが、こと男の服に関する限り上等な表現ではない。
男の上等なお洒落は、本筋、正調でなくてはならないのだ。
瞬間最大風速的に、ギミックやデザインの虜になっても、時が風化させ、過去の汚物・雑味に
変わってしまう。つまりそういった奇をてらったところがない服こそ上等な服である。
志が高いとでも言うのだろうか。素材とフォルムの完成度で勝負を挑んでくるこそ美しい。
正調の逆は何かといえば、「場違い」である。いくら「はずし」のお洒落と言ってみたところで、
場違いの領域に突入してしまうと高価な物でもミミッチく感じてしまう。
《次号へ続く・・・》
VOL・99 人は見かけによらぬもの? 2009・02
「人を見かけで判断してはいけない」と戒める。
なぜかというと、人は人を見かけで判断する習性を持っているからに他ならない。
竹内一郎氏の「人は見かけが9割」という本を読んだ。
洋服屋的には人のルックスやファッションについて書かれたものと期待し購入したが、さにあらん。
話し言葉の内容での情報伝達は全体の7%程度で、残りは表情や仕草、声の大きさやテンポに
依るところが大きいという内容であった。
つまり名優は、記憶した台詞だけでなく、全てを含んだ表現力という感性があるからこそ
名優なのである。話し言葉の字面だけで情報伝達をしようとするのは「木を見て森を見ず」
というわけだ。
さて人を見かけで判断するはなし。衣服のキャラクターについてだ。
役者がその役の職業の服に扮装する。医者の役なら白衣を着る。
パイロットの役なら制服を着る。最もわかりやすい見た目である。
外見から入って役になりきっていく。三億円事件の犯人の場合、白バイと制服、そして警官として
何ひとつ違わない立ち居振る舞いに誰も疑うことをしなかった。
専門店でも百貨店でも夥しい数の服が売られている。何かのイメージを持って、何かになりたくて、
あるいは自分らしさを求めて服を購入する。ビジネスマンのスーツの場合、有能な自分を表現して
いる、筈である。肥満などの自己管理能力が問われる時代、スーツ選びも自己を管理することにな
りますまいか。
逸脱することも埋もれることもなく、自己を表現するスーツを着たいものである。
スーツを販売する多くの人たちも日々研鑽を積んで技量を高めていかなければ、着手である顧客
に迷惑をかけることになる。道行く人のスーツを見るにつけ誰が売ったのか悲しくなるスーツがい
かに多いことか。長すぎる袖丈、後ろ襟下の突き皺は売り手の恥ですぞ。
なぜかというと、人は人を見かけで判断する習性を持っているからに他ならない。
竹内一郎氏の「人は見かけが9割」という本を読んだ。
洋服屋的には人のルックスやファッションについて書かれたものと期待し購入したが、さにあらん。
話し言葉の内容での情報伝達は全体の7%程度で、残りは表情や仕草、声の大きさやテンポに
依るところが大きいという内容であった。
つまり名優は、記憶した台詞だけでなく、全てを含んだ表現力という感性があるからこそ
名優なのである。話し言葉の字面だけで情報伝達をしようとするのは「木を見て森を見ず」
というわけだ。
さて人を見かけで判断するはなし。衣服のキャラクターについてだ。
役者がその役の職業の服に扮装する。医者の役なら白衣を着る。
パイロットの役なら制服を着る。最もわかりやすい見た目である。
外見から入って役になりきっていく。三億円事件の犯人の場合、白バイと制服、そして警官として
何ひとつ違わない立ち居振る舞いに誰も疑うことをしなかった。
専門店でも百貨店でも夥しい数の服が売られている。何かのイメージを持って、何かになりたくて、
あるいは自分らしさを求めて服を購入する。ビジネスマンのスーツの場合、有能な自分を表現して
いる、筈である。肥満などの自己管理能力が問われる時代、スーツ選びも自己を管理することにな
りますまいか。
逸脱することも埋もれることもなく、自己を表現するスーツを着たいものである。
スーツを販売する多くの人たちも日々研鑽を積んで技量を高めていかなければ、着手である顧客
に迷惑をかけることになる。道行く人のスーツを見るにつけ誰が売ったのか悲しくなるスーツがい
かに多いことか。長すぎる袖丈、後ろ襟下の突き皺は売り手の恥ですぞ。
VOL・98 暖かい服 2009・2
極寒の2月、スーツに限らず暖かくしてくれる服というものは、
親しい友人のように思えるものである。
保温性だけでなくお気に入りのデザインだったりしたらその親しみは倍増する。
では暖かい服は、なぜ暖かいのだろうか。
最近は発熱するハイテク素材もあるが、過去からずっと用いられている天然素材においても
暖かさの根拠がある。生地が厚いから、起毛しているから、ふんわりしているから、
あながち間違いではないが、もっと深く考えてみる。
服の暖かさ(保温性)に最も関係があるのは含気性(抱気性)である。
厚手の生地や起毛素材が保温性に富むのはこの為であり、断熱材としての生地が空気の層を
形成している。中綿素材やダウン(羽毛)などの充填材料は、さらに空気を多く抱くことになるので
暖かいのである。アウトドアやサバイバル的なレベルの衣料に関しては、お隣のページの赤津さん
のほうが、より専門的に明るいのではないかと思う。
続いて熱伝導率の高い素材。
化学繊維のウィンドブレーカーや皮革製品、それ自体は熱伝導率が大きく本来は保温性に
富まない。常温での金属がひんやりと感じるのは、熱伝導率が高く、体温が奪われる為に
冷たく感じるのである。皮革製品などは通気性が低いので有風時でも衣服内に作られた
空気層を保護し、保温性を発揮する。素材の表面が平滑な物ほど冷たく感じる。
逆に起毛素材は、接触冷感が小さいので冷たく感じない。服の暖かさは、生地の厚さ、含気量、
通気性(風速)、熱伝導率等に影響されるが、主役は空気という断熱層なのである。
科学的な裏付けと同様に、作り手、贈り手の愛のこもった服(物)は身につける人の心を暖かく
してくれることもお忘れなく。
親しい友人のように思えるものである。
保温性だけでなくお気に入りのデザインだったりしたらその親しみは倍増する。
では暖かい服は、なぜ暖かいのだろうか。
最近は発熱するハイテク素材もあるが、過去からずっと用いられている天然素材においても
暖かさの根拠がある。生地が厚いから、起毛しているから、ふんわりしているから、
あながち間違いではないが、もっと深く考えてみる。
服の暖かさ(保温性)に最も関係があるのは含気性(抱気性)である。
厚手の生地や起毛素材が保温性に富むのはこの為であり、断熱材としての生地が空気の層を
形成している。中綿素材やダウン(羽毛)などの充填材料は、さらに空気を多く抱くことになるので
暖かいのである。アウトドアやサバイバル的なレベルの衣料に関しては、お隣のページの赤津さん
のほうが、より専門的に明るいのではないかと思う。
続いて熱伝導率の高い素材。
化学繊維のウィンドブレーカーや皮革製品、それ自体は熱伝導率が大きく本来は保温性に
富まない。常温での金属がひんやりと感じるのは、熱伝導率が高く、体温が奪われる為に
冷たく感じるのである。皮革製品などは通気性が低いので有風時でも衣服内に作られた
空気層を保護し、保温性を発揮する。素材の表面が平滑な物ほど冷たく感じる。
逆に起毛素材は、接触冷感が小さいので冷たく感じない。服の暖かさは、生地の厚さ、含気量、
通気性(風速)、熱伝導率等に影響されるが、主役は空気という断熱層なのである。
科学的な裏付けと同様に、作り手、贈り手の愛のこもった服(物)は身につける人の心を暖かく
してくれることもお忘れなく。
VOL・97 やさしい着心地 2009・1
オフィスに着いて、あるいは仕事帰りの居酒屋で上衣を脱ぐのは、その方が楽だから?
着ていても肉体的ストレスにならなかったら脱ぐ必要は無いわけだ。
スーツは英国ロンドンのサヴィルロウが聖地であることは間違いない。
しかし、昨今のテーラードな服は、イタリアの南の都市ナポリの影響を色濃く受けている。
まずナポリからイタリア全土に伝播し、それが世界に広がった。
技術的に真似ることが困難な部分はさけて通る服メーカーが多いが、釦使いや、ステッチワーク等
のちょっとしたディテールは、比較的安価なスーツにも盛り込まれている。
日本人にとって、かつてのスーツとは直立不動で胸を張って着る物であった。
どちらかと言えば、着心地は二の次の固くて重い印象がつきまとっていた。
その後に一世を風靡したソフトスーツやらを、人々はとても着やすいと感じてしまう。
未だに大きいスーツが楽だと信じている人も多い。じっとしていると楽でも動くと疲れる。
スーツの場合、腕の運動がすべてだ。
アームホールの大きいスーツでは、腕を上げる度に身頃も一緒に持ち上げる。
つまり腕を上げる度に上衣全体の重さがのしかかる。
さて、クラシックスタイルを引っ張ってきたナポリ仕立て。
見た目はスマートできちんとしているのに着心地はやさしい。
まるでカーディガンだ。
ゆったりした着心地なのに、鏡の中の自分は細身の服を着ているのだ。
恰幅のいい人でもスマートに見せてくれる。
世界中のどこでも、大切な人に会う時は、手段として一番いいスーツを着る。
だが目的が日本と欧米ではいささか異なるようだ。前者は自分への思いやり、
後者は相手への思いやり。
日本人がお洒落をすると稚拙さが見えるのはその辺の心理だろうか。
着ていても肉体的ストレスにならなかったら脱ぐ必要は無いわけだ。
スーツは英国ロンドンのサヴィルロウが聖地であることは間違いない。
しかし、昨今のテーラードな服は、イタリアの南の都市ナポリの影響を色濃く受けている。
まずナポリからイタリア全土に伝播し、それが世界に広がった。
技術的に真似ることが困難な部分はさけて通る服メーカーが多いが、釦使いや、ステッチワーク等
のちょっとしたディテールは、比較的安価なスーツにも盛り込まれている。
日本人にとって、かつてのスーツとは直立不動で胸を張って着る物であった。
どちらかと言えば、着心地は二の次の固くて重い印象がつきまとっていた。
その後に一世を風靡したソフトスーツやらを、人々はとても着やすいと感じてしまう。
未だに大きいスーツが楽だと信じている人も多い。じっとしていると楽でも動くと疲れる。
スーツの場合、腕の運動がすべてだ。
アームホールの大きいスーツでは、腕を上げる度に身頃も一緒に持ち上げる。
つまり腕を上げる度に上衣全体の重さがのしかかる。
さて、クラシックスタイルを引っ張ってきたナポリ仕立て。
見た目はスマートできちんとしているのに着心地はやさしい。
まるでカーディガンだ。
ゆったりした着心地なのに、鏡の中の自分は細身の服を着ているのだ。
恰幅のいい人でもスマートに見せてくれる。
世界中のどこでも、大切な人に会う時は、手段として一番いいスーツを着る。
だが目的が日本と欧米ではいささか異なるようだ。前者は自分への思いやり、
後者は相手への思いやり。
日本人がお洒落をすると稚拙さが見えるのはその辺の心理だろうか。
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